尊みで飯が食える

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ちょっとしたぼやき〜HAPPY ENDというオタク語編〜

最近ブログ書いてないので何かぼやいておくか、という記事です。

 

読まなくても大丈夫です。普段なんとなく思ってることをリアルの知り合いに言ったりするのですが、こういう話をすると大体嫌がられるわけで、ブログに書けよという話です。ここはブログ。ヒアイズブログ。好き勝手して良い。

 

もう読む気がなくなったなら僥倖です。時間を無駄にしないで済みましたね。以下もまた全部適当な妄言です。

 

その前に注意があります。 

・例え話で不倫云々の話をしてしまったのでそういうのが不快に感じそうな人は見ないでください。

 

お願いもあります。

・こういう事を公表するのがこわいのです。あまりおこらないでください。でも反論は欲しいです。

 

 

あと先に結論だけ言っておくと「ハッピーエンドというパターンが存在して、それを読者がハッピーエンドだと判断出来たときに我々はハッピーエンドであると喜べる」という至極当たり前の結論が出てくるだけです。これを理解するために3000字くらい考えていたらしいです。次の順番で話してます。

 

 

 

 

1.HAPPY ENDについて

えーと、なんだ、前置きが長すぎる。話したいことはもうタイトルの通りなんですけど、そういやHAPPY ENDってあるなと思って。 

 

 

HAPPY ENDって物語の結末を評価する単語の1つだと思うんですよ。

以下はWikipediaのハッピーエンドのページ

*1

からの引用ですが、大体次のような説明がされています。

映画・ゲーム・ドラマ・小説・漫画などにおけるエンディングの様式のひとつ。主人公あるいはメインキャストのグループが幸せな状態を迎え、物語が終息するパターンのこと。大団円。

"パターン"と書かれている辺りHAPPY ENDかどうかは読み手が決めるものではなく物語だけで決定されるものと思えますね。

 

一方で今回は私がよく言う"オタク評価として用いるHAPPY ENDという単語"について30分くらい考えた結果HAPPY ENDっていいねとなった、みたいな話です。パターンとしてのHAPPY ENDと評価として用いるHAPPY ENDの差みたいな。

 

一々HAPPYと打つのが面倒になったので今後カタカナで書きます。パターンとしてのハッピーエンドとオタク語としてのハッピーエンドが2つありますが、この2つが乖離しているような気がする状況は3章でのみ出るので基本的に両者ともハッピーエンドと書いてしまう事にします。

 

 

2.どう見てもHAPPY ENDの例

オタクをしていると「ハッピーエンドだが客観的に見ると割と悲惨なことになっている」という状況がたまにあると思います。具体例は挙げません*2

 

例えば女の子二人が戦場で傷付いて、全身ボロボロになって、身体も動かなくなって、戦争の悲劇と見ることも出来ますがこの二人が親友ないしそれ以上の関係で、二人で抱き合ったまま死ぬ

 

という物語があったとして、これは名実共にハッピーエンドでしょう。本人達はぬくもりの中で幸せな気持ち*3で終わりを迎えられたので。

 

ここで感想としてこれはバッドエンドというのは彼女達*4からすれば本当に余計なお世話で、何なら彼女達の必死に生きた人生*5を冒涜しかねない発言ですらあるわけです。

 

結局どこに視点を置くかで変わると思うのですが、物語って大体視点が極端でないにせよ固定されています。群像劇を描く際に今まさにどこかの国で伐採されている木々なんて基本的には気にすることはないわけです。後者だけ見たら森林破壊!悲しい!とかあるかもしれませんが、どこかの国で森林破壊があるからバッドエンド、というのはどこかの国の森林破壊について題材が置かれた物語で生じる評価です。

 

人間単位で見た場合、ハッピーエンド評価は定義にもある通り作中の人々の幸福という感情を最大限尊重した上で行われるものだと思います。本人達が幸せならそれこそがハッピーエンドだ、とよくTLで言われてますが、これはきっとこういうことだと思います。まんがタイムきららみたいなコンテンツは人間単位のやりとりに重きが置かれているのでこの理解はそれほど間違っていないでしょう。たぶん。それなりに。

 

幸せという感情は全く掴みようのないものなので、客観的に見てバッドエンドと言いたくなっても、それはやはり余計なお世話なわけです。幸せであるという描写が読み取れる以上言う事はないわけです。

 

 

3.HAPPY ENDであると素直に言えない例

普段こんな理解をしている一方、ちょっと思うところがあり、「いやバッドエンドと言いたくなるが!!!」みたいな例があったわけで。

 

具体例はやはり挙げないのですが、それらしい例*6を簡潔に述べると、

 

伴侶はいるけど一夜のアヤマチがあり、その後子が出来て、伴侶か不倫相手の子かわからないけど全てを隠して伴侶とこの子と幸せに生きよう、


という物語があったとして、一応これも先の基準と合わせるとハッピーエンドパターンなわけですよ。この人はもう前向きに生きる決心をしていて、現時点それなりに幸せそうで、伴侶は言うまでもなく幸せ、子は知らんけど。あと不倫相手もいかがわしい事が出来て幸せ。

 

こういう物語を読んだときに素直にオタク語としてハッピーエンドと言えるか...?となったわけで、

 

いや、この人の罪の意識は消えないし、そこを踏まえると大団円とは言いがたいわけです。でもその度合いは我々判断出来ないので本当に罪の意識が遠い彼方に行ってしまったのならこれはハッピーエンドなわけです。むしろ本当に罪の意識がありません、みたいな描写がされたら100点満点のハッピーエンドパターンです。製作者はハッピーエンドというパターンに則りこういう描写をしている。

 

「将来的にバレたら子供も伴侶も超絶不幸です幸せが砂上の楼閣バッドエンド」みたいな反論もありそうなんですけど、

 

そんな事言い出したら任意の作品だって言えるじゃないですか!!物語の結末に対する評価なのだからそれ以上先の話を考慮に入れると何でもアリになっちゃうわけですよ。逆に一切バレずに皆幸せというパターンもあるわけです。たまに血の繋がりはないけど本当の親子みたいな展開はありますし、そもそも血の繋がり自体はさほど問題ではないという意見も出せるわけです。

 

だから物語の評価を行う際に描写外の部分を勝手に想像して評価に入れるな、という感じなのですが、やはりあまり気持ちは良くない。じゃあこれはハッピーエンドなの?

 

 

4.結論

wikipediaの説明を読むとなんだかハッピーエンドという概念は幸せという感情さえ決め打ちしてしまえば大分形式的なものな気がします。完全に決定出来て然るべき。でも実際はそうじゃない場合がある気がする。

 

 ...とここまで書いてようやく気付きましたが、物語に対してハッピーエンドじゃバッドエンドかみたいな点が読み手の立場から論じられるのは端的に幸せという感情の決め打ちの難しさが原因の殆どを占めるのではないか...

 

......そりゃそうか。なんだったんだこの時間。確かにwikipediaの記述を見ても読み手が完全に判断出来ないのは幸せな状態という部分ですね。

 

するとさっきの不倫云々の例をハッピーエンドと思えないのは我々が彼等の幸せを信じられない、という点から来てるという判断が出来るのかなと思います。

 

そりゃそうですね。実際罪は消えないし、一切忘れられるとかはむしろこわいです。我々の中に登場人物への信頼があるならなおさら信じられないでしょう。そもそも登場人物に信頼出来るほどの思い入れがまだないかもしれない。様々な理由で我々はハッピーエンド評価を棄却する事が可能です。

 

だから素直にハッピーエンドが喜べる、というのは登場人物の幸せを素直に実感出来る、という事かもしれないですね。ハッピーエンドじゃん!

 

やったー!!ハッピーエンドという言葉は素敵な言葉ですね。

 

 

5.結論について思うこと

こういう判断を支えるのは読者なりに見てきた登場人物への信頼から来ていると思います。我々はその世界に実在する人物を登場人物という形で理解して、同じ時間を過ごしている人々に対するものと類似かあるいは同様の信頼をそこに得ている。ベタな表現ですがなんとも尊い事だなあと思います。オタクでよかった。

 

まとめるとハッピーエンドというパターンが存在して、それを読者がハッピーエンドだと判断出来たときに我々はハッピーエンドであると喜べるわけです。意図が伝わり意図を読み取る事でオタク語としてのハッピーエンドは成立している気がします。

 

冷静に考えると最後の意図が伝わり...の部分は普通に反例がある気がします。作者は地獄を描きたかったが読者は蜘蛛の糸を信じる、みたいな状況はありそう。でも私の話は我々がハッピーエンドと喜ぶ十分条件を1つ述べただけで必要条件ではないからこれは私の話を棄却しないですね。たぶん。

 

ありそうとしか言えないのは私は任意の作者ではないからです。想像でしかない。そんな事言い出したらこれ全部想像ですね。戦場の女の子とか不倫物語とか何だったんだ。おわり。

 

 

 

ところで色々書いてみたんですがこわいの一言に尽きますね。

 

よく思うんですけど数学は気楽でいいですね。数学は証明書いて、それが通ったか通ってないかの明確な判断基準のみが存在するけど、一方でそうでない考えを表明する時は自分の中にない判断基準で評価されるかもしれない。

 

こわい...やはり他者への尊敬は忘れないようにしたいですね。

 

いや違うけど!!!!って方はよければ意見を教えてください。反論は欲しいので...

 

あと普通にこういうの研究されてそうですよね。あったら教えてください。稚拙な文ですみませんでした...

*1:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%89

*2:こわいので

*3:読者としての主観的判断

*4:この彼女達は本当に出自がないので私の頭の中にしかいません

*5:お前の頭の中にある物語に言われても、という感じですが適切な例を取捨選択してください

*6:私の頭の中にしか存在しません